いよっ、優勝候補!!
2013年3月24日日曜日
2013年3月16日土曜日
2013年3月14日木曜日
【15W2D】おばあちゃんの買い物。
春らしい桜色のマタニティーパジャマが欲しくて、買い物に出た。
マタニティーコーナーで、様々な色柄のパジャマを眺めていると、後ろからおばあちゃんが沢山の品物で溢れそうになっている買い物カゴを差し出す。
その一番上に乗っているのは、私だったら絶対選ぶことのない、鮮やかな菜の花色のパジャマ。
パジャマをめくると、その下には、マタニティー下着や赤ちゃんの肌着、哺乳瓶などなどがいっぱいΣ(o>艸<o)
こんなにいっぱいのカゴを抱えていたなら、さぞ重かったろうと思って、心配になっておばあちゃんの顔を見る。
長身で細身、白髪のおばあちゃんは、何も言わないで、ただ微笑んでいるだけ。
私は、嬉しくて、ありがたくて、菜の花色のパジャマを買うことに決めた。
・・・目が覚めても、嬉しさで溢れた心の中の温かさは変わらなくて、思わず頬が緩んだ。
ところで、
私には、一緒に買い物に出られるような祖母はいません。
父方の祖母は健在ですが、子どもの頃から今もずっと遠くに住んでいて、2人で買い物に出るなんて、これまで同様、これからもないでしょう。
それに、父方の祖母は、元教師で、男の子三人を育て上げた小柄だけれど芯の強い、はっきりとした自己主張のある女性。
夢に出てきたおばあちゃんとは、全くの別人です。
一方、母方の祖母は随分と前に亡くなっています。
彼女が若くして寝付いた時、同居していた母のお腹の中には私がいました。
当時、祖母と祖父は、それぞれ1店ずつ異なる商店を経営していて、祖父の店を叔母が、祖母の店を母が継ぐことになっていました。
身重の母は、突然寝たきりになった祖母の介護と商店の経営を一気に任されることに。
医者からは、切迫早産の可能性を指摘されて、絶対安静を言いつけられるものの、とてもそんなことができる状況ではなかったそうです。
医者に「この子は、私の子だから、大丈夫です。」と啖呵を切って、そして本当に「ちゃんとしがみついていてくれたよ」と嬉しそうに話すのを、大分大きくなってから聞きました。
その祖母が亡くなったとき、私は2歳でした。
お葬式では、大好きだった『キャンディーキャンディー』のテーマ曲を歌いながら踊る私。
もちろん、今の私にそんな記憶はなく、私にとっての祖母は、ずーっと遺影の中で微笑んでいるおばさんでしかありませんでした。
*54歳で亡くなったので、おばあさんですらなかった。
母方の祖母は、東京生まれ、東京育ち。
祖父と結婚して、空襲から逃げるために田舎にやって来たものの、当時の田舎にはちょっといないタイプの洗練された人だったと、聞きました。
170cmの子供(母)と174cmの孫(私)を持つくらいですから、祖母も当時にしては大きな人だったようです。
私が知る遺影の祖母は、目が大きくて、細身で黒髪。
あれから35年が経ち、今生きていたら、白髪になっているでしょうか。
目覚めてからもこんなに嬉しい気持ちでいられたのは、あれが、母方の祖母だったからではないかと思ったからです。
こども6は、私たち夫婦は勿論、当初から不妊治療をしていることを知って、応援してくれていた互いの両親にも、とても望まれて、ここにやってきてくれました。
そして、きっと、その思いは祖母も同じ。
今、その声を聴くことは決してできないけれど、夢の中と同じように、ほほえみながら、こども6が誕生することを楽しみに待ってくれているのだろうと思います。
パジャマは、菜の花色にしよう。

マタニティーコーナーで、様々な色柄のパジャマを眺めていると、後ろからおばあちゃんが沢山の品物で溢れそうになっている買い物カゴを差し出す。
その一番上に乗っているのは、私だったら絶対選ぶことのない、鮮やかな菜の花色のパジャマ。
パジャマをめくると、その下には、マタニティー下着や赤ちゃんの肌着、哺乳瓶などなどがいっぱいΣ(o>艸<o)
こんなにいっぱいのカゴを抱えていたなら、さぞ重かったろうと思って、心配になっておばあちゃんの顔を見る。
長身で細身、白髪のおばあちゃんは、何も言わないで、ただ微笑んでいるだけ。
私は、嬉しくて、ありがたくて、菜の花色のパジャマを買うことに決めた。
・・・目が覚めても、嬉しさで溢れた心の中の温かさは変わらなくて、思わず頬が緩んだ。
ところで、
私には、一緒に買い物に出られるような祖母はいません。
父方の祖母は健在ですが、子どもの頃から今もずっと遠くに住んでいて、2人で買い物に出るなんて、これまで同様、これからもないでしょう。
それに、父方の祖母は、元教師で、男の子三人を育て上げた小柄だけれど芯の強い、はっきりとした自己主張のある女性。
夢に出てきたおばあちゃんとは、全くの別人です。
一方、母方の祖母は随分と前に亡くなっています。
彼女が若くして寝付いた時、同居していた母のお腹の中には私がいました。
当時、祖母と祖父は、それぞれ1店ずつ異なる商店を経営していて、祖父の店を叔母が、祖母の店を母が継ぐことになっていました。
身重の母は、突然寝たきりになった祖母の介護と商店の経営を一気に任されることに。
医者からは、切迫早産の可能性を指摘されて、絶対安静を言いつけられるものの、とてもそんなことができる状況ではなかったそうです。
医者に「この子は、私の子だから、大丈夫です。」と啖呵を切って、そして本当に「ちゃんとしがみついていてくれたよ」と嬉しそうに話すのを、大分大きくなってから聞きました。
その祖母が亡くなったとき、私は2歳でした。
お葬式では、大好きだった『キャンディーキャンディー』のテーマ曲を歌いながら踊る私。
もちろん、今の私にそんな記憶はなく、私にとっての祖母は、ずーっと遺影の中で微笑んでいるおばさんでしかありませんでした。
*54歳で亡くなったので、おばあさんですらなかった。
母方の祖母は、東京生まれ、東京育ち。
祖父と結婚して、空襲から逃げるために田舎にやって来たものの、当時の田舎にはちょっといないタイプの洗練された人だったと、聞きました。
170cmの子供(母)と174cmの孫(私)を持つくらいですから、祖母も当時にしては大きな人だったようです。
私が知る遺影の祖母は、目が大きくて、細身で黒髪。
あれから35年が経ち、今生きていたら、白髪になっているでしょうか。
目覚めてからもこんなに嬉しい気持ちでいられたのは、あれが、母方の祖母だったからではないかと思ったからです。
こども6は、私たち夫婦は勿論、当初から不妊治療をしていることを知って、応援してくれていた互いの両親にも、とても望まれて、ここにやってきてくれました。
そして、きっと、その思いは祖母も同じ。
今、その声を聴くことは決してできないけれど、夢の中と同じように、ほほえみながら、こども6が誕生することを楽しみに待ってくれているのだろうと思います。
パジャマは、菜の花色にしよう。
2013年3月12日火曜日
【15W0D】横になって寝られない。
本日より15Wに突入ε=ε=ε=┌(o゚ェ゚)┘
あと1週間で安定期。
安定期に入れば流産や死産確率も1/300~400とか。
そうなったら、かなり安心だな~。
毎度のことだけれど、この1週間、待ち遠しい(*´ェ`*)ポッ
さて、昨晩のこと。
布団に入って、右を向いて、漫画を読む。
・・・。・゚・(ノД`)・゚・。
読みたいんだけど、読めない。゚(゚´ω`゚)゚。
腹が痛い(´;ω;`)
右腹がつれるように痛い(´;д;`)
左を向いてみる。
それでも、右腹が痛い(・´ω`・)
位置的に、盲腸&腹膜炎の痕辺りなので、きっと癒着痛なんだろう。
というか、子宮が大きくなってきて癒着が剥がれる痛み?
以前の検診で、
「歩くのも痛かったり、日常生活に支障が出るなら入院」と言われたのを思い出す。
うぅ・・・。
入院は困る(´・д・`)
こども1~5が路頭に迷う。って、迷わないけど。でも、散歩に行けない。
右を向いて左を向いて、んで、上を向いて、
何度も試してみるけど、痛みが取れない。
仕方なく、正座して、上半身を倒してみると、この姿勢だけは楽。
*生理痛の時にやると和らぐというポーズ。要は、土下座。
でも、これじゃ寝らんない(||OдO||)
まだ4ヶ月なのに、どうなるの、わたしの腹の中Σ(o>艸<o)
寝かせてくだせぇ。
あと1週間で安定期。
安定期に入れば流産や死産確率も1/300~400とか。
そうなったら、かなり安心だな~。
毎度のことだけれど、この1週間、待ち遠しい(*´ェ`*)ポッ
さて、昨晩のこと。
布団に入って、右を向いて、漫画を読む。
・・・。・゚・(ノД`)・゚・。
読みたいんだけど、読めない。゚(゚´ω`゚)゚。
腹が痛い(´;ω;`)
右腹がつれるように痛い(´;д;`)
左を向いてみる。
それでも、右腹が痛い(・´ω`・)
位置的に、盲腸&腹膜炎の痕辺りなので、きっと癒着痛なんだろう。
というか、子宮が大きくなってきて癒着が剥がれる痛み?
以前の検診で、
「歩くのも痛かったり、日常生活に支障が出るなら入院」と言われたのを思い出す。
うぅ・・・。
入院は困る(´・д・`)
こども1~5が路頭に迷う。って、迷わないけど。でも、散歩に行けない。
右を向いて左を向いて、んで、上を向いて、
何度も試してみるけど、痛みが取れない。
仕方なく、正座して、上半身を倒してみると、この姿勢だけは楽。
*生理痛の時にやると和らぐというポーズ。要は、土下座。
でも、これじゃ寝らんない(||OдO||)
まだ4ヶ月なのに、どうなるの、わたしの腹の中Σ(o>艸<o)
寝かせてくだせぇ。
2013年3月8日金曜日
出生前診断の意義について再考す。
クリフムからの結果が郵送されて数日。
遺伝カウンセリングの予約日を待つ日々。
特に目新しい情報がないことは分かりつつ、引き続きネット検索。
そんな時、クリフムでの初期胎児ドッグを受ける前から、あちこちのブログや掲示板で指摘されていたことに、ふと思い至る。
【何のために出生前診断を受けるのか】
私の中で出生前診断を受ける意味は、前にも書いた通り、私の体を知るのと同じように、子ども6の体を知りたい、知っておくべきだと思ったから。
不妊治療時から「障がいのある子はいらない」と言っていた夫にしてみれば、もう少し違った意味を持っていたかもしれないけれど、私は、この点について、夫と議論するつもりもなかったし、意見を擦り合わせておかなくてはとも思っていなかった。
それは、なぜか。
私には、『わからない』から。
どれほど想像力を働かせてみても、これまでの37年間で得た知識と経験のすべてを結集して考えて見たところで、その立場に実際にいない私には、その時私がどう『感じるのか』わからなかったから。
だからこそ、クリフムでの初期胎児ドッグを受ける際も、確定診断を受けるか否かのボーダーラインを設定しながら、実際、遺伝性疾患があると指摘された場合の対処については、決めないでいた。
きっと、その時の私が、その時、母としての感情に従ってする判断こそが最も正しいと感じていたから。
それを、今の私が、決めるなんて、将来の私に対する冒涜とさえ思えた。
けれど、もちろん、『37年の過去を持った今の私』にも、出生前診断に対するそれなりの感情と考えはあって、方向性を見極めておくことは重要だとも思っていた。
私にとって、方向性を決める上で、最も重要な柱。
それは、
【時間がない】ということ。
私の実年齢は、37歳5ヶ月。
36歳3か月時点で計測したAMH(卵巣年齢)は、42~43歳相当。
AMHは、改善することはないと通常は考えられているので(反対説もあります)、今はもっと下がっているだろうし、こども6を出産する頃にはさらに低下している(=卵巣年齢が上がっている)lことは確実。
だから、もし、もしも、こども6が、体内で死亡する可能性が非常に高い遺伝性疾患を持っていたり、出生後すぐにその命を終える様な遺伝性疾患を持っていたならば、早い段階で決定的な判断を下さなければならない。
なぜなら、私は、『妊婦』になれれば、それで良かったわけじゃない。
私は、『母親』になりたいのだから。
夫と二人協力して、喧嘩して、日々葛藤しながら、子供と共に家族になっていきたい。
親は子より先に死ぬという、当たり前のこの世の定めを、当たり前だと感じて生きたい。
・・・ここに思い至って、
私の心にうっすらとかかっていた靄が、一気に晴れるのを感じた。
そうか、そうだったよね。
13・18トリソミーは、流産・死産率の非常に高い遺伝子異常で、もし生きて生まれることができたとしても、平均寿命は数日とさえ言われている。
もちろん、21トリソミーも、流産率は80%と言われるほど非常に高い確率だけれど、13・18トリソミーと比べれば、高確率で生きて生まれることができる。
そして、医学の発達した現代では、私の寿命よりも長く生きることだって全然不可能じゃない。
途端に、
【1/450】という数字が意味ないように思えて、
私は、遺伝カウンセリングを受ける前から、確定診断を受けないことに決めていた。
だって、13・18トリソミーの確率は、1/100000なんだよ。
こども6は、生きて生まれてくるよ、と言っている。
情けない私を母親として選んでくれて、そして、共に家族として生きようと言ってくれている。
ようやく気づいたよ。
遺伝カウンセリングの予約日を待つ日々。
特に目新しい情報がないことは分かりつつ、引き続きネット検索。
そんな時、クリフムでの初期胎児ドッグを受ける前から、あちこちのブログや掲示板で指摘されていたことに、ふと思い至る。
【何のために出生前診断を受けるのか】
私の中で出生前診断を受ける意味は、前にも書いた通り、私の体を知るのと同じように、子ども6の体を知りたい、知っておくべきだと思ったから。
不妊治療時から「障がいのある子はいらない」と言っていた夫にしてみれば、もう少し違った意味を持っていたかもしれないけれど、私は、この点について、夫と議論するつもりもなかったし、意見を擦り合わせておかなくてはとも思っていなかった。
それは、なぜか。
私には、『わからない』から。
どれほど想像力を働かせてみても、これまでの37年間で得た知識と経験のすべてを結集して考えて見たところで、その立場に実際にいない私には、その時私がどう『感じるのか』わからなかったから。
だからこそ、クリフムでの初期胎児ドッグを受ける際も、確定診断を受けるか否かのボーダーラインを設定しながら、実際、遺伝性疾患があると指摘された場合の対処については、決めないでいた。
きっと、その時の私が、その時、母としての感情に従ってする判断こそが最も正しいと感じていたから。
それを、今の私が、決めるなんて、将来の私に対する冒涜とさえ思えた。
けれど、もちろん、『37年の過去を持った今の私』にも、出生前診断に対するそれなりの感情と考えはあって、方向性を見極めておくことは重要だとも思っていた。
私にとって、方向性を決める上で、最も重要な柱。
それは、
【時間がない】ということ。
私の実年齢は、37歳5ヶ月。
36歳3か月時点で計測したAMH(卵巣年齢)は、42~43歳相当。
AMHは、改善することはないと通常は考えられているので(反対説もあります)、今はもっと下がっているだろうし、こども6を出産する頃にはさらに低下している(=卵巣年齢が上がっている)lことは確実。
だから、もし、もしも、こども6が、体内で死亡する可能性が非常に高い遺伝性疾患を持っていたり、出生後すぐにその命を終える様な遺伝性疾患を持っていたならば、早い段階で決定的な判断を下さなければならない。
なぜなら、私は、『妊婦』になれれば、それで良かったわけじゃない。
私は、『母親』になりたいのだから。
夫と二人協力して、喧嘩して、日々葛藤しながら、子供と共に家族になっていきたい。
親は子より先に死ぬという、当たり前のこの世の定めを、当たり前だと感じて生きたい。
・・・ここに思い至って、
私の心にうっすらとかかっていた靄が、一気に晴れるのを感じた。
そうか、そうだったよね。
13・18トリソミーは、流産・死産率の非常に高い遺伝子異常で、もし生きて生まれることができたとしても、平均寿命は数日とさえ言われている。
もちろん、21トリソミーも、流産率は80%と言われるほど非常に高い確率だけれど、13・18トリソミーと比べれば、高確率で生きて生まれることができる。
そして、医学の発達した現代では、私の寿命よりも長く生きることだって全然不可能じゃない。
途端に、
【1/450】という数字が意味ないように思えて、
私は、遺伝カウンセリングを受ける前から、確定診断を受けないことに決めていた。
だって、13・18トリソミーの確率は、1/100000なんだよ。
こども6は、生きて生まれてくるよ、と言っている。
情けない私を母親として選んでくれて、そして、共に家族として生きようと言ってくれている。
ようやく気づいたよ。
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