2013年3月14日木曜日

【15W2D】おばあちゃんの買い物。

春らしい桜色のマタニティーパジャマが欲しくて、買い物に出た。
マタニティーコーナーで、様々な色柄のパジャマを眺めていると、後ろからおばあちゃんが沢山の品物で溢れそうになっている買い物カゴを差し出す。
その一番上に乗っているのは、私だったら絶対選ぶことのない、鮮やかな菜の花色のパジャマ。

パジャマをめくると、その下には、マタニティー下着や赤ちゃんの肌着、哺乳瓶などなどがいっぱいΣ(o>艸<o)

こんなにいっぱいのカゴを抱えていたなら、さぞ重かったろうと思って、心配になっておばあちゃんの顔を見る。
長身で細身、白髪のおばあちゃんは、何も言わないで、ただ微笑んでいるだけ。

私は、嬉しくて、ありがたくて、菜の花色のパジャマを買うことに決めた。



・・・目が覚めても、嬉しさで溢れた心の中の温かさは変わらなくて、思わず頬が緩んだ。



ところで、
私には、一緒に買い物に出られるような祖母はいません。
父方の祖母は健在ですが、子どもの頃から今もずっと遠くに住んでいて、2人で買い物に出るなんて、これまで同様、これからもないでしょう。

それに、父方の祖母は、元教師で、男の子三人を育て上げた小柄だけれど芯の強い、はっきりとした自己主張のある女性。
夢に出てきたおばあちゃんとは、全くの別人です。

一方、母方の祖母は随分と前に亡くなっています。
彼女が若くして寝付いた時、同居していた母のお腹の中には私がいました。
当時、祖母と祖父は、それぞれ1店ずつ異なる商店を経営していて、祖父の店を叔母が、祖母の店を母が継ぐことになっていました。
身重の母は、突然寝たきりになった祖母の介護と商店の経営を一気に任されることに。

医者からは、切迫早産の可能性を指摘されて、絶対安静を言いつけられるものの、とてもそんなことができる状況ではなかったそうです。

医者に「この子は、私の子だから、大丈夫です。」と啖呵を切って、そして本当に「ちゃんとしがみついていてくれたよ」と嬉しそうに話すのを、大分大きくなってから聞きました。

その祖母が亡くなったとき、私は2歳でした。
お葬式では、大好きだった『キャンディーキャンディー』のテーマ曲を歌いながら踊る私。
もちろん、今の私にそんな記憶はなく、私にとっての祖母は、ずーっと遺影の中で微笑んでいるおばさんでしかありませんでした。
*54歳で亡くなったので、おばあさんですらなかった。


母方の祖母は、東京生まれ、東京育ち。
祖父と結婚して、空襲から逃げるために田舎にやって来たものの、当時の田舎にはちょっといないタイプの洗練された人だったと、聞きました。

170cmの子供(母)と174cmの孫(私)を持つくらいですから、祖母も当時にしては大きな人だったようです。
私が知る遺影の祖母は、目が大きくて、細身で黒髪。

あれから35年が経ち、今生きていたら、白髪になっているでしょうか。

目覚めてからもこんなに嬉しい気持ちでいられたのは、あれが、母方の祖母だったからではないかと思ったからです。

こども6は、私たち夫婦は勿論、当初から不妊治療をしていることを知って、応援してくれていた互いの両親にも、とても望まれて、ここにやってきてくれました。
そして、きっと、その思いは祖母も同じ。

今、その声を聴くことは決してできないけれど、夢の中と同じように、ほほえみながら、こども6が誕生することを楽しみに待ってくれているのだろうと思います。


パジャマは、菜の花色にしよう。
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